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強い父と、情けない息子について
大学生の頃、父は長い闘病生活を送っていた。何度も東大病院に入院し、時には家族が交代で病室に泊まったりもした。それでもあまり危機感を感じていなかった私は、今思えば随分いい加減な生活をしていた。二番目の兄と母親は父が癌だという事を、家族にも隠していたからということもあるのだけれど。
 その頃、父が以前から関係があった神田駅のガード下で何故か「一幅」という飲み屋をやっていた。私はそこで皿洗いのアルバイトをしていた。伯父さんが店長だったけれど割合一生懸命働いた(つもりだった)昼、病院に行ってそこから神田でアルバイト。板長の息子(中卒くらいだったか)も居て、「お兄ちゃんも泊まってよ」と言われて、一緒に2階で泊まった事があった。神田駅のガード下だから、夜遅くまで、朝は真っ暗な時から山手線が上を走るのだから、眠れたもんじゃなかった。
 このガキがいたずら者で、閉店後、胡椒を両手に持って振り回しながら店の中を走り回る。吸う空気中が胡椒だからたまったものじゃない。板長につかまって、思いっきりのげんこつをくらっても、へらへら笑っていた。
 この時期毎日のように病院に行っていたが、ある日彼女を見舞いに連れて行って、帰りに父親がよく行っていた寿司屋に行かせろとせがんだ、その時の父の何とも言えない顔を今でも覚えている。
 神田駅ガード下の「一幅」のバイトの最後の日、」板長が「最後だから、何か喰いたいもんあるか?」と言われたので「もつ煮込みが思いっきり喰いたい」と言ったら山のように盛られた皿が来て、何時も盗み食いでちょくちょく食べていたので、とても美味かった。

病院に泊まっていたある日、夜中に父のうなるような声が聞こえた、苦しそうなその声に起き上がると「大丈夫だ寝てなさい」と言われ、もうろうとした中でしばらくいたが、父のその苦しそうな声がやまない。ぼーっとしたまま看護士室に行って伝えると、すぐに父のベッドに行ってくれた。手術後の癒着が原因だった。その時の辛さに耐える父の強さに驚かされた。
 ある時から、胃を通さずに腸から栄養を取らせる為に、腹に穴をあけて管を入れた時も、表情を全く変えず、痛さをこらえていた事も驚きだった。その後退院して家で過ごすようになると、この腹からのペースト状の物を作って入れるのが私と姉の仕事となった。それが1日に3~4回時間が決まっていて、段々間に合わなくなったりする。その事が、今でも父に申し訳なくて、度々思い出すのだ。病院から貰った粉を煮てペーストにする。時間が無いからさます時間が無い。今考えればさます時間くらいどうでもな事なのだけれど。
 もうこれ以上、その時の状況を書く事が出来ないが、父のとても強い精神力を見させられた思いがする。

あー!あの父の夢の、千葉の何処かで本当に牧場をしていたらと考えると、私にはその想像の風景がはっきり見える
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【2011/04/05 18:07】 カフェでのはなし | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
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