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想い出 小・中・高校生時代 9
5人兄弟の末っ子何て言う物は、もう甘え放題?そうだったかなー?
私にとって最も尊敬する存在である父の事を話したい。

小学校に行くようになってから、父は毎朝車で(タクシー)私を学校に送ってから駅に行っていた。実のところあまり覚えていないのだが、数ヶ月経ってから母親が先生に言われたらしい「お宅のお子さんは毎日遅刻して来ているんですが」それで大騒ぎだったらしい。
何となく自分の頭の上の方でそんな話しをしてたような、くらいにしか覚えていない。つまり遅刻するという事が、そんなに大きな問題だとは思っていなかったという事のようだ。
低学年のころ、父の会社の近くの「鉄道博物館」に連れて行かれた事を覚えている。ずっと父の側にいられる事が嬉しかった。「鉄道博物館」はさほど覚えていないが、帰りにレコード屋に行ってドーナツ盤を4~5枚買ってもらったのが、なぜなのかは今でも分からない。
それから浅草にも連れて行かれた。これは父親の青春時代の世界だったからのようだ。酔っぱらっていい機嫌になると「岩に凭れ~て ものすごいひ~いとは てっぽかつう~いで」と三文オペラ?をよく歌ったのだった。
その時の父の気持ちは、私が上の娘をスペインに連れて行って、バルセロナを一緒に歩いたときのあの気持ちだろうと思う。

高校生になって授業で柔道があった。わりと好きだった。父親も柔道を大分やっていたらしいのだが、ある夜、布団の上で父親に押さえ込みをした。父親はへらへら笑いながら、何時の間にか逆になって、まったく身動き出来なくなった。悔しくて泣いた。あの時、父親は嬉しく思ってくれたかなーと…
柔道部に入ろうと思ったが、先生が「足が悪いと左右の発達が偏ってしまうので止めた方が良い」と言われてあきらめた。

先日、あの大震災後の計画停電の際、やる事が無いので机の中を整理した時、懐かしい封筒が出て来た。それがこれ!子供の給料袋
中学生ころからだと思うのだけれど、毎月末に父親が小遣いをくれていたのだが、何時も「もうやったじゃないか」とか、とぼけてなかなかくれない。母が「お父さん!いい加減にしなさいよ!」と言うのだが、それでもなかなかくれない。そこで姉と相談して僕らの小遣い袋を作った。この袋は昭和42年度とあるから、高校3年の時の物だと思うが、何故かもらうと父親のはんこかサインがその月の欄に入る。この習わしは高校卒業で終わったようだ。しかし3,000円とは随分貰ってたんだな!父親のサイン…懐かしくて涙が出る。

父が亡くなったのは、私が大学を卒業する年の1月末だった。あれからもう40年弱、その間、父に喜んでもらえるような事を何もできなかった。元気だった父も、病床の苦痛の中、見守る私に、もう寝なさいという。私にとっての父はまるで侍であった。
今のこのおもちゃ屋をしている私を、苦笑しながら上から見ているのではないか
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【2011/03/19 16:44】 カフェでのはなし | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
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