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想い出 サラリーマン時代8
父のおかげで、幼児教育関係のF社に就職ができたのだけれど、当時労働組合が出来たばかりで、関わらないようにと即山形に1ヶ月ほど行かされた。
父親が1月に亡くなったばかりだし、心細いし、出張手当などでは生活はできないほど、家に「金をくれ」とも言えなくて、大学に入学時に何口とか(何とか金とか言ったかな?)を本来なら大学に寄付するような物なのだろうけれど、それを返してもらって、山形に行った。
山形には、国鉄(当時)好きの三船君と、今でも仲良くしてもらっている昇さんとの3人だった。営業所の先輩達は皆良い人ばかりだった、佐藤サンが二人居たな、その一人の佐藤サンが去年奥さんと店に来てくれてとても嬉しかった。
なにしろへまばかり、幼稚園に行って注文を書くのがめちゃくちゃ。先輩達は何も文句は言わず、広い畑に真っすぐ続く道で「電信柱の間隔が何メートルあるか、車の距離メーターで計ってみよう」何て言って気持ちを和らげてくれたり、今思えば感謝せねばならない人たちだった。
しかし、この不安に満ちた状況は、すぐに胃潰瘍になってしまって病院に行った。点滴をする看護婦が下手で、腕がふくれあがってしまった事を覚えている。
本社に戻って、希望は開発部だったのに制作部という所に配属になった。そこで7年紙と印刷、製本などのノウハウを覚える事が出来たが、昼食のあと皆で喫茶店に行くのだけれど、ちっとも会話が面白くない。
芸術学科の学生の頃は、仲間と喫茶店に行って話すのは、まるで喧嘩のようで、何でもかんでも本気でぶつけ合ったが、ここでは「◎◎週刊誌にこんな事が書いてあったぞ」と言う話しになる、でもだからどうかが話されない。
ある時先輩の一人に「××先輩が『分かる分かる』とよく言われますが、そんなにツーカーで気持ちが分かるんですか?」と聞いた事があった。そう聞かれた先輩は「そうだねー」と言っただけだった。それで良いのか?と思った。
開発に行きたくて、コンパスと三角定規を持った自分の絵を描いてマッチに印刷して、会社中配ったり、社長室の灰皿にそのマッチを何時も置いてくれるよう司書の女の子に頼んだりした。入社7年目にその希望は敵ったのだが…
32年勤めたが、おもちゃ屋をやるために55歳で退職をした。この間ずっとサラリーマンと言う仕事もこの会社も嫌で仕方がなかった。しかし食べて行かなければならないし、毎月給料をもらっていると、そう簡単には辞められない。
とは言うものの多くの先輩にお世話になり、多くの事を勉強させてもらったし、自分にとってこの会社勤めは意味が無かったかと言えば、とてもそんな事は言えない、それどころか感謝の気持ちで今はいっぱい。
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【2011/03/03 18:34】 未分類 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
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