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想い出 頭が下がる君に6
中学で一緒だった君と高校は別だったが、何故か大学がまた一緒になった。
まったくのいい加減だった私の事を、彼は私の全てを受け入れてしまう。
私が何かを言うと「それでいいんだ、それが君なんだ、君がベストなんだ」と言う。

その仲間のもう一人がひさし君で、こいつとは随分遊んだし、いたずらもした。
「今日親も誰も居ないから来いよ」と電話があって彼の家に行った。
他に二人いたかな、いい気になって、あった酒を皆で飲んだ。たいして飲んでいなかったのに、酔った雰囲気で夏の海にくりだした。あのころは射的屋や弓や夜の遊び場になっていて、その中に小さなバーのような店の前を通った時、中からギトギトに化粧をした女が出て来た。
私達を見るとよって来て一人をガッチリと捕まえると「ヨッテラッシャイヨー」とすごいだみ声で言うじゃないか。
こりゃ男だ!当時銀座のOKAMAバー「葵」の海の家があったのだ。あわてて皆で「かんべんしてください」と捕まった奴の綱引き状態。ようやくゆるしてもらって帰って来た。こんな事ばかりしていた。
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【2011/01/14 18:56】 カフェでのはなし | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
想い出 大学時代の仲間5
考えてみると、中、高、大と夫々良い友達にめぐまれたものだと、熟思う。
大学では特に面白い仲間達だった。大学祭でゼミの課題の「店舗設計」を実際に作って、校舎の踊り場を使ったので、窓をつくるのに。くず屋さんに行ってビニールシートを一巻きもらって来たり、友達の父親が絨毯メーカーだと言うので、行ったら展示会で使用したザブトンほどの大きさの絨毯を大量にもらって来たりして、大学に10日以上も泊まりがけで作った。その相棒が落語研究会の「天失気亭ゲジゲジ丸」彼とはよく喧嘩したり笑ったり、よく泊まりに行ってお母さんには、随分お世話になった。
 ある初夏の頃とても気に入って買った、鎌倉Kentのサマージャケットを着ていくと、その明くる日ライバルのミシマが言った「お前と同じ物は着たくないから破っちまったよ」話しを聞くとまったく同じジャケットを奴も買ったのだそうだ。こいつにはすごい迫力があって魅力的な奴だった。
 先日、倉敷にかみさんと行った。そうだここには40年ほど前に、ササキと二人で着たことがある。アイビースクエアに泊まった。歩きながら話した、カフェグレコで話した。
 神戸にはケンジと行った。奴ともよく話した。二人で行ったジャズ喫茶は今でもあの雰囲気を覚えている。その帰りに、「しゃれこうべ」というバーの看板に二人で笑った。
 今でも一番よく会っているのが満っちゃんだ。姉がよく「喧嘩するの止めなさいよ」と言った。僕らは喧嘩をしているつもりは無い。奴とはお互いに何でも言えたからから、酷い事を言っても言われても、それが普通だったような気がする。
 元は「男の友情が一番大事だ」と言いながら、約束をポカするは、知らない間に女と良い事をしてたり?とかいい加減な奴だと思った事もあったが、話せば話すほど良い奴だった。去年、ミシマの所に集まった時に「男ばかりで、女がいないのに涙が出てくるぜ」と言いやがった。
 ここに一人女の子(当時)が居た。マリコだが、今は何処にどうして居るかも分からない。

良い友達にめぐまれたものだと、熟思う。
で!もう一人、居なければいけない奴が居る。ひかる。 おーい ひかる 出てこいよ。会いたい。
【2011/01/13 18:01】 カフェでのはなし | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
年を取った証拠です
最近、随分昔の事を思い出します。
その思い出した事を、書き残したと思うようになります。
それはきっと、そのような年になった証拠なのでしょうか?
大体、年齢ごとに順番に思い出す訳ではないので、このブログというのは
なかなか良い物じゃないかと思い付きました。
思い付いたまま書き入れていれば、段々、自分の歴史みたいな物が出来るはず?

マッサージチェアで、いい気持ちになって寝た時、こんな夢を見ました。
広大な砂漠と岩の丘で、丘のふもとにはこれも広大な宗教の聖地のような建物が広がっていました。
その横を通って、広い坂道を登って行きました。
丘にかかると、洞窟の入り口があり、中へ入って行きます。
どんどん、どんどん登って行きます。段々暗くなって来ます。
そして長い階段が見えて来て、そこを登りかけた時。
「これは、まずいぞ」と思いました。「このまま行ってはいけない」と思いました。

それから、必死になって駆け戻りました。すごいスピードで、
洞窟の外に出ると、雪が積もっていてスノーボードのような物でどんどん滑り降りて行きます。

この夢を見てから、想い出を書き残す気になりました。
自分の子供や家族に読んでもらっても、しょうがない事。
何の意味も無い事。でも続けてみようかと…
【2011/01/05 12:19】 カフェでのはなし | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
思い出(小学校1年生ころ)4
ある日、母親が僕を保健所に連れて行った。
どんな検査をして、どんな話しをしたかは覚えていないが、脊髄性小児マヒで、右足に障害があると。
そして6級の障害者手帳をもらった。
町に靴の修理屋さんがあった。実はそこは千さんのお父さんだったのだけれど。右足が短いので、体全体がちんばになると腰や内蔵にまで影響すると言うので、右の靴だけ底を4センチくらい高くした。
重い!そりゃそうさスポンジと言ったって硬めの奴で、4センチもあれば重いし、それに1歩ごとに階段を登っているようなものだし。
しばらくして、その靴を履かないで済むようになった。
その事以外にも保健所に連れて行かれた事があった。何かパズルのような事や、問題をやらされて、頭が悪いから、それも障害があるかもと心配したのだろう。確か随分反抗的な態度をしたような気がする。

父の所に、もと柔道家だというマッサージの人が来て、「直せる、直せる」と一生懸命になって、僕の足をコネクリカエした。そんな簡単に治る訳が無いと、僕は「よくも病状も知らずにやれるものだ」とせせら笑っていた。
汗をかいてその人は帰って行った。

学校では「ビッコ,ビッコ」とよく言われたが、随分いじめられたと記憶があるが、今のようなイジメは無かったように思う。相撲が好きで当時の栃錦が大好きだった。砂場で一番強い金井君と相撲をした時、そっと右足を彼の足の間に忍ばせて、一気に引いた事で、何と勝ってしまった。良い方の左足は人並み以上に強かったから。
兄とプロレスをやっても左足はやられる事は無かった。
【2011/01/03 18:43】 カフェでのはなし | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
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