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ガブリエル・バンサンの「老夫婦」という絵本に刺激を
「老夫婦」という絵本
最近、ガブリエル・バンサンの「老夫婦」という絵本に刺激を受けて
(ジャック・ブレルのシャンソンの詩を絵本そたもの)
パリの片隅で、老夫婦の死んで行く事も含む生活を歌っている歌で、もしかするとこれが、悲しいけれど幸せな死に方なのではないかと思ったりした。


そんな事を最近つらつら考えていた所、飯田史彦『生きがいの創造』という講演のCDを聞いた。
福島大学経済経営学類の教授。ロンドン市立大学大学院客員研究員、東北大学大学院講師、筑波大学大学院講師、経営学者として活躍していた。という人の話で、脳出血で生死の境をさまよったとき、ドラマティックな臨死体験を経験、正体不明の「まぶしい光」を見たという話から始まるこのCDなのだけれど、面白いけれど、非好意的に聞いてしまったし、それでいいと思っている。

ここでこのCDに出てくる話の揚げ足をとる。
最近のニュースで、一般の道路沿いの家の自転車の荷台に放置された赤ちゃんが亡くなってしまったという事件が合った。また、人工授精で妊娠した赤ちゃんが、その親の精子ではなかったことで中絶したというニュースもあった。

CDの話の中で、人間としては亡くなっても、魂としては居続ける。人間として生きる事はその試練をうけることとか。
赤ちゃんとして生まれてくる時には、その両親を選ぶ事ができるそうだ。時にはその両親の子供でありたいと思えば、現在妊娠している子を流産させて、自分がそこの子供になることもできる。と言う

自転車の荷台に放置された赤ちゃんもそうだったのか?精子のまちがいで中絶された赤ちゃんも、そんなこで亡くなっってしまったのだろうか?
そうだとすると、人間になって試練を受けるよりも、魂の時にもまともな人格(人格とは言わないのだろうけれど)ではない事も多いという事なんだ。

昨今、大衆の心の乱れを揶揄されるけれど、質の悪い霊達が人間になりすぎているということになるのだろうか?

ガブリエル・バンサンの「老夫婦」を読んで、自分の死に方、生き方をおろおろしながら悩んでいる方が、人間らしくていいような気がする。
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【2009/03/02 16:37】 感じたこと・思ったこと | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
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